お布施を先にお坊様に渡してしまいました。

私の祖母が若くして亡くなってから、
10年来、家族ぐるみで懇意にしていた年配のお坊様から、
そのお坊様の息子さんに代替わりして数年たった頃だったと思います。

祖父は若くして亡くなった祖母のことが大好きだったので、
毎年、近くに住む親戚を集めてお坊様に念仏を唱えてもらっていました。
年配のお坊様は、かなりの人徳があったので私の家族は彼のことをとても信頼していました。

年配のお坊様が亡くなった後、息子のお坊様が初めて1人で訪問されたとのことでした。
その日の予定は例年どおり、お坊様に来てもらって、
念仏を唱えてもらってお布施をお供えする運びとなっていました。

お布施を用意して待っていますと、
かなり急いだ様子で玄関に駆け込んで来られたお坊様が、
「こんにちは、すみません」と謝りながら、おばあちゃんの仏壇の部屋へ入って行こうとしたので、
時計を見ると15分くらい遅刻をされていたみたいでした。
「足の悪い叔母をおぶってきますので待ってください」と断って、
寒い仏壇間の隣の暖かい部屋から叔母を15歩くらい、おぶって行くと、
もうお坊さんがいないので、驚いて母に聞いたら、
「お布施を持って玄関から出て行ってしまわれた、すぐ戻るって言ってたわ」
と、真に受けた私たちは数分のことだろうと待っていたが、一向にいらっしゃらず、
不思議に思いつつ、外でしばらく近所を見渡しても、お坊様らしきかたが見当たらないのです。

しょうがないので電話をかけると、若いお坊様は電話に出て、
「すみません」と謝るので、どういうことか説明を求めました。
すると、「もうお布施はいただいたので、念仏は唱えたはず」と、
回答されてしまって、呆気にとられました。
こんなこと、これまで1度だってなかったのです。
でもまあ、お坊様だって人間です、忘れることもあるかと思って、重大なことだとは思いませんでした。

次の訪問になって、例年どおり、お坊様を迎え入れると、
挨拶もそこそこに、念仏を唱えてもらうことになりました。
仏壇にむかって座布団の上に正座すると
唱え始めて30秒で念仏を終わり、
「お布施のほう・・・」とおっしゃられたので、
いつもより念仏が明らかに短いなと、その場に居た全員が思いました。
「お父上も一緒に来てた時期はそんな対応しなかったじゃないか」と私の祖父はやんわり注意しました。
「私の個性ですので」と返されてしまい、
前回も今回も何となく家族全員もやもやした気持ちになってしまったので、
来年からは違うひとに頼もうかという話になりました。

その次の年の祖母の命日になる前に、若いお坊様から連絡があり、
「お寺を畳む」とのことだったので、理由を聞くと、
「この土地ならではの田舎の風習があわない」とのことでした。
世襲のお寺だったので、田舎の風習が合わないなんて、不思議なことをおっしゃられるし、
お寺の本堂は最近、建て直したので新築なのに変だなと思いました。

しばらくして祖父が亡くなったときに、
いつものお坊様を呼ぼうとして止められたので、理由を聞くと、
近くに住む親戚が言うには、近所の人も同じようなトラブルに遭遇していたらしいのです。
何もせず祝儀だけ持って帰るので、どうやらクレームが立てこんで収拾がつかなくなっていて、
お寺を廃業せざるを得なくなったということでした。

新しくお寺にいらした若いお坊様たちは、それはそれは丁寧なかたで、
念仏をちゃんと唱えてくれる感じの良いお坊様たちでした。

プロのお坊様として必要な配慮が、お父上が亡くなった瞬間、息子のお坊様から消えてしまっていましたし、
息子のお坊様は、お父上のお坊様とは違い、元々あまり長いこと続ける気がなかったんじゃないかなと思います。
お父上のお坊様が立派だからと言って息子のお坊様も立派だとは限らないですね。
当たり前なようで気づきませんでした。
よい勉強になりました。

なぜ住職さんは遺骨は海に撒く方法や骨壺を仏壇に置いておくことを教えてくれなかったのか?

<もうこれ以上骨壺を納めるスペースがありません>

義理の父が亡くなった3年後に義理の母が永眠しました。

当然、義理の父のお墓に義理の母の骨を納めようと思って、そのようにお寺の住職さんに伝えていました。

しかし、住職さんから電話があり、「先祖代々の骨壺がたくさんあって、もうこれ以上骨壺を入れるスペースがないから、新しくお墓を建てた方が良い」「お父さんとの骨壺とお母さんの骨壺を一緒に新しいお墓に入れましょう」と言うのです。

「義父の骨壺を納めているお墓の横にはいくらかスペースが空いているので、この横に並べて新たにお墓を建てることができます」「今、うちのお墓はギュウギュウ状態で、なかなか隣に空きスペースがあることは少ないのに、すぐ横に並べてお墓を建てられるだなんて、こんなラッキーなことはないですよ」などと話されました。

住職さんから話をされても、私たちにとっては「いやいや待ってください!」という感じでした。

当時私たちには幼稚園児の息子もいて、これから小学校・中学校・高校と嫌と言うほど子育てにお金がかかります。お墓だなんて、そんなとてつもなく高額の物を買うだけの余裕はありません。

当時は、お墓が安いものではないという事くらいは知っていましたが、どれくらいの価格なのかは全く知りませんでした。

また、骨壺に収めている骨をどのように扱うのが良いのかも、若気の至りでまったく知らなくて、お墓に収めるか納骨堂に預けるしかないと思っていました。

自分たちはまだ30歳代前半だったので経済力も乏しく、お墓を建てるだなんてとてもとても無理だという事を住職さんに話したのですが、「うちと提携している墓石屋さんがあるから、できるだけ勉強するようによーく話しておくし、とりあえず墓石屋さんの説明くらいは聞きなさいよ」と言われました。

墓石屋さんが来て、墓石にはピンからキリまであって、今は出費が大変でも良いものを買えば長持ちすることなどを話されました。高い物の方が子供や孫に迷惑をかけなくて済むと言うことを力説されたのです。ローンもあるから、良いものを買うに越したことはない、と言うのです。

<疑惑>

その時私が思ったのは、もしかしたら住職さんは墓石屋さんからリベート(バックマージン)を貰えるのではないかなあという事です。

そして私たちは、お墓の中がどのようになっているのかは、見ることができません。本当に、もうこれ以上骨壺を納めるだけのスペースがないのだろうか?もしかしたら、うまいように言って、墓石を新たに建てるしかないように話を持って行こうとしてるのではないだろうか?という疑惑が沸いて来たのです。

<仕方なくお墓を建てました>

結局は墓石代やその他の費用を合計すると、夫の手取り年収くらいもの金額が必要だったのですが、ローンで購入しました。

後で調べたら墓石代は100万~200万くらいが相場のようです。これに永代使用料が50万~100万円、工事費が10万~20万円、彫刻費用が3万~10万円ほどかかるのが一般的な費用のようです。

<海に散骨する方法などもある>

そして、私の父が亡くなる少し前に知ったのですが、火葬した後の骨は絶対にお墓に入れなくてもよいのですね。

骨壺に収めて仏壇に置くなりしてもOKだし、故人の骨でペンダントを作って肌身離さずに持っているという人もいるようです。

また最近は骨を粉末状にしてもらって、海に撒くという人も増えているそうです。やはり墓石代が高くつくからでしょう。

<忘己利他がお坊さんのはずなのに・・・>

住職さんは、まだ30歳代前半の平社員の安給料のサラリーマンに墓石を新しく建てることを勧めました。

しかし、海に撒く方法があることやお墓や納骨堂に納めなくても仏壇に置いておいてもOKだという事を、どうして教えてくれなかったのでしょうか?

困っている人を助けるのがお坊さんの一番大事な仕事だと思うのですが、そうではないのですか?

私の根性がひねくれているだけかもしれませんが、墓石を建てさせて一儲けしたかったのではないかと思っています。

仏教用語に「忘己利他(もうこりた)」という言葉があります。自分のことを忘れて他の人のために尽くせという意味です。多くのお坊さんは「忘己利他」でしょう。

しかし私たちがお世話になっている住職さんは、忘己利他の欠片もないなあと思いました。法要の時も小さい子がいるにもかかわらずタバコを吸うのも腹立たしいし・・・

私の父はお坊さんが大嫌いな人だったので、骨壺はお墓には納めずに納骨堂にあずかってもらいました。お布施もお車代も不要です。炎天下でお墓を洗ったりしなくても良いし、いつでも父や母に会いたい時に納骨堂に行けばOKです。

「忘己利他」のないお坊さんには「もう凝りた」と言うのが、私の実感です。

えっ!納骨できない?!まさかの49日法要!

父が他界して49日法要をする事を、お寺にお願いしました。

 

その際、一緒に納骨もしたいと言うと、お寺から納骨してくれる業者にお願いしてくれるとのことで、法要と一緒に時間も調整してお願いしました。

当日、法要が終わり納骨に親戚みんなでお墓に向かい待てど暮らせど、納骨の業者さんはきません。

お寺の僧侶は代々家族でやっており、今の1番偉い僧侶の息子さんが問い合わせてくれました。

 

すると、時間を間違えて今は来れないという、まさかの出来事。

今まで親戚の法事には何度も立ち合いましたが、納骨できないなんて初めてのことです。

食事の予約もしているので、いつまでもお墓にいられないことと、親族がお願いすればいいのでは?と助け舟を出してくれたので、立ち会うことはなしに、父は納骨されることになりました。

 

僧侶の息子さんも、自分がきちんと立ち会うので!といってくれたので安心したらお願いしました。

私の自宅と父のお墓は隣の県なので、そんなにいつも見にはいけません。

ただ、父の育った街で、1番偉い僧侶は父や叔父たちとも、子供の頃の遊び仲間ですので、叔父は1人お墓の近くに住んでいました。

 

また、私の母方のいとこもお墓の近くに住んでいたので、ふたりがそれぞれ後日確認にいってくれるとのことでした。

ちなみに、実家のお墓は、まだ石塔がたっていなくて、土を掘って骨壺を埋葬しています。

すると、しばらくして、従兄弟から送られてきたLINEの写真には、土がボコボコになってたいて、お供物や塔婆、49日まで自宅でお骨と一緒においておいた、お茶碗たちのセットのお盆たちが、なんともボコボコの土の上に無造作におかれていて、あんまりに父や母やご先祖様がかわいそうと感じるくらいの酷さでした。

 

早速お寺に電話をして、私はすぐ見に行かないので納骨した業者さんに直してもらえるよう、お願いしました。

結局3月に納骨して、3月下旬のお彼岸にお墓参りにいくと、まだ土がボコボコ感が残ってて、塔婆もうまくはまっていなくて、お盆に関してはそのままでした。

結局、きちんと見てくれるといっていたけど、立ち会ってくれたのか?さらに直してくれたというけど、きれいにはなりきっていなかったので、立ち会ってくれると言っていたのは本当だったのか不信感がいっぱいになりました。

 

さらに、49日においたお盆もずっとお墓にあったそうです。結局、法要と納骨をお願いした、お寺の僧侶の奥さんもそもそもきちんと納骨業者にお願いしてくれていのかさえ、わからなく思えてきてしまいました。

 

死者にたいして、冒瀆にならないのかと考えてしまいました。

お茶碗たちがらのっている、お盆も結局半年くらいだしたままでした。

 

49日の時にこのお茶碗たちはどうしますか?と尋ねて、僧侶の息子さんがこちらでやりますから、といってくれていたので、こちらもいつ片付けたらよいのかわからないまま新盆をらむかえてしまいました。

 

親戚からは、あのお茶碗たちまだあったよーと連絡が来るたび、またかっ!と思いました。

新盆の時にあったら、お寺に言おうと思いましたが、新盆にはきちんと片付いていたのでよかったです。

 

もちろん沢山のお墓があるので、大変なのはわかります。

お墓の掃除は自分でするのもわかっています。

 

父を納骨した時に父がどの辺に眠っているのかも、知っておきたかったけど分からずじまいで、父には申し訳なかったなと思っています。

それもあとで教えてもらえるはずだったのですが、結局分からずじまいでしたし、先にお墓に入っている母と並べてあげたかったなと思っています。

 

こんなこおははじめてだったので、かなり驚きましたし、塔婆をあげても今後きちんとなっているか毎回不安になってしまいます。

お寺の奥さん、住職さんとのトラブルがありますが我慢しています。

私は、萩出身で、今は嫁いで山口へいますが、昔から、明安寺さんとのトラブルは、母から聞いています。

 

亡くなったご先祖様が、場所が、家に近いので、選んだそうです。

ですが、場所が、小学校のすぐ近くで、読経の時も、子供達の声がしたり、うるさかったです。

駐車場が、せまくて、出にくいし、トイレが、汚く、掃除が、行き届かなくて、虫が沢山いるので、法要中、トイレに行く気がしません。

昔、ご先祖のお墓が、木の縁というか、近くにあり、風が強いと、もし、お墓の方へ倒れたら、いけないので、お墓を、中央の安心できる場所に、移動しました。

かなりのお金が出たそうです。

 

萩では、大きいお寺なので、お墓も多いです。

よそのお寺にしている人に聞いたら、シキミなど、風が強く、倒れたり、飛び散ったら、お掃除が行き届いているようなのですが、ここは、ほったらがしです。

昔の今は、隠居されてる住職さんのときは、本当に、奥さんもよく、掃除など、心使いなど、あり、親しみがもてましたが、今の若い住職さんになり、変わりました。

 

最初の奥さんと、別れ、また別の奥さんと結婚。

で、狭い敷地内に、自分たちの子供3人の自転車が、放置されてあり、とにかく雑です。

法要の時の読経は、短く、昔の古い住職さんのときは、長く、なんか、聞いていて、気持ちが入っている読経でしたが、ざーーと、なんか、雑な気がします。

 

法要の時、畳ぐらい、新しくしたらいいのに、変えてないので、ストッキングに汚れがついて、嫌な気がしました。

 

萩では、大きいお寺なので、もんとが、多いからかしれませんが、威張っています。

 

実家では、昔から、祖母の命日に、月一回、家に来て頂いていましたが、辞めました。

若い住職さんになってから。

読経は、いい加減だし、人柄もあまりよくないので。

 

お寺自体だいぶ古くなっているので、屋根の瓦がおちるんじゃないかとか、思います。

増改築する土地も、すぐ縁にありますが、その気がないようです。

法要の時の精進落としも、出すタイミングが、悪いし、奥さんが、お茶を、だされるとき、こけて、お茶を、こぼすし、自分の好きな人とばかり話していて、気づかいというか、心使いがありません。

そういう人と、あきらめています。

 

実家は、兄が、結婚してないので、永代供養にしてもらう予定ですが、母が、心配しています。

お寺の内部が、ものすごく古く、床が、歩いていて落ちるんじゃないか、お菓子をあげても、虫がつつくのじゃないかと、心配しています。

 

玄関の所から入る駐車場、あれをどうにかしてほしいです。

誰か、いわれればいいのですが、言われません。

入りにくい、出にくい、あれじゃあ、事故するんじゃあないかと、おもっています。

坂になっていて、見通しが悪いし、とにかく出にくいです。

私は、免許取って40年近くたちますが、玄関からは、入った事はありません。

駐車場が、奥にありますが、あれじゃー台数が少ないし、皆、乗り合わせて、法要へこられている感じです。

 

もちろんお布施はしっかり、取られ高いです。

だから、実家は、1年に12回家にきて読経してもらっていましたが、今は1年に一回にしています。

 

やはり、人柄が、第一ですね。

お墓の守りを、もう少しやってほしいです。

 

自分たちの家は、立派にしておられます。

お寺の補修をせず、自分たちの家だけ、きれいにするというのは、ちょっとどうかと、思います。

 

もう歴史が長いので、今更、お墓もかえられないし、父母は、時々、文句はいっていますが、よくしてほしいので、我慢してあきらめています。

 

やはり、読経を聞くと、その人の人となりが、よくわかります。

お墓も、もうお寺をあてにせず、自分たちで、掃除をやって、きれいさを保っています。

住職亡き後、とにかく悲惨です。

法要は、だいぶすみましたが、やはり、父母は、後悔している様子です。

お寺が火事になった時のお布施制度に関して

先祖から位牌を置いているお寺が一昨年の年末に火事で全焼しました。

その際に、修繕のために、檀家から集金のお願いが回されました。

案の定、出火原因が、お寺側にあるのに何故?修繕費を檀家が払うのかでかなり揉めていました。

お寺の言い分としては、火事になったのは災害で、寺の修復は自分達で行うが、位牌堂などは、皆様のものなので、檀家さんからの力添えがないと修復は難しい。

さらには、お金が集まらないと寺の存続もかなり難しいという言い分でした。

我が家は、文句を言ってもしょうがないので、大体、皆と同じくらいのお布施しました。

 

しかし、昨年の夏頃に寺から連絡があり、追加のお布施をお願いしたいとのことでした。

理由としては、他の檀家からお金がなかなか集まらなく、追加でお願いしているとの事でした。

さすがにそれは、お願いするところが違うと思い、断ったのですが、今度は住職自身が我が家に出向いてきました。

亡くなった祖父がかなりお寺にお布施をしていたとの話をされ、今後とも末長いお付き合いをしたいとのことから、追加のお布施をしてもらえやいかとのことでした。

要は、取れるところから集金をするという事ですか?

というふうに尋ねてみたところ、そんな事ではない、寺は皆で守っていくものだからこういう時には皆でお金を出し合うのが習わしだと言ってきました。

そうだとしたら、何故ウチなのかというはなしをしましたが、皆に話はしているが断られているとの事でした。

ここまで話をして、これ以上は堂々巡りだなと思い、追加で少し(最初の半額)を渡す事で納得してほしいと話をして、お布施を渡して終わりました。

その後、お寺は前程ではない中でも、修復されて普通に運営されているようでした。

しかし、前はストーブだった場所にエアコンが入っていたり、水洗便所にウォシュレットが入っていたりと、なぜかよい設備が追加されていました。

こんなにいい設備でなければ、追加のお布施は必要なかったんじゃないかと思いました。

そう思っているのは、近所の人もおなじであったのですが、近所の人でお布施をしていたのは我が家だけで、周りの人はお布施をしていないのにそういう陰口を叩いています。

そんなことからお布施をしていないのに文句を言う人と同調はしたくないが、お寺に文句は言いたいと思い、お寺に一人で出向き、話をしました。

 

すると、住職から信じられない言葉が飛び出しました。

「せっかくの機会なので、来てくれた檀家さんに快適に過ごしてほしいと思い、設備を良くしてます」

そのための資金を檀家から一律なら理解出来るのですが、我が家だけから多く調達しておいて、すべての檀家のためにやりましたと言われても納得できることでは無く、それであれば、追加無しで同じ額にしてほしいと話をしましたが、もう終わったことですと言う話をされて流石に怒りました。

その際には、気を悪くしたなら謝りますと言う所で、話は終わったのですが、しばらくしてから近所人から住職が、私のことを揶揄する様な話をよくしていると教えてくれました。

その内容は、自分ばかりが損をしていると言う考えは捨てた方がよい、徳が優っていると言う考えにしなさいと言うものですが、最後に私の名前を出して、お金を多く出した事は言ってしまうと徳が下がりますというふうに話していると言う事でした。

流石に頭にきて、文句を言いに行くと、そう言う意味じゃないとの事で、特に謝罪はありませんでした。

 

それ以降、法事がないので、話をしてはいませんが、我が家では寺を変えるかどうかというところまで話が進んでおり、今後、このお寺との関係性が今まで通りというわけにはいかないなと言うところまで話がすすんでいます。

昔と変わったのか?やたらとお布施を欲しがる住職…

主人のお父さんが亡くなったときのことです。

お父さんからはお布施はだいたい〇〇円くらいで決まりはない、金額が決まっているものではないと生前話していました。

お葬式の依頼のお電話をしたらお寺に来てくださいとのことで主人が出向きました。

まず、ここからびっくりでした。私の実家のお寺では呼び出されることは無かったので…電話で時間の打ち合わせをしていました。

人が亡くなってバタバタしているのにお寺まで行かなければならないなんてそこで少し不信感でした。

主人が出向いたら、火葬は〇円、お通夜は〇〇円、お葬式は〇〇円と提示してきたそうです。

それもお父さんから聞いていたより高い金額で。お布施って金額が決まっていたんだなと驚きました。

またそれを提示してくることにかなりびっくりしましたが、現代はそうなのかな?と何も言えず結局お支払いしました。

最後のお葬式の日に渡すようにとまで指示を受け、その渡すタイミングまで指示されました。

お葬式が終わり和尚さんが着替えている間廊下で待ち、出てきたらすぐ廊下で渡すようにと…

しかし、お葬式当日は何かと慌ただしく和尚さんが着替えている間に廊下で待つことが出来なく少しだけ待たせてしまう結果になりました。

急いで向かったところ、いかにもご立腹気味な顔で、「遅い」と一言。

確かに遅れたのは申し訳ないのですが来てくださった方にお礼をしたりしていての事です。

結婚式のように何ヶ月もかけて用意するものでも無いので、当日は色々予期せぬことが起きます。

それを「遅い」と怒る和尚さんに違和感を覚えました。

所々で、「私は和尚だ。こちらがエラい」みたいな発言が見られ少しはらただしかったです。

お寺?和尚さんにもよるかもしれませんがかなり違和感を覚えました。

その年の初盆のことです。

お盆1ヶ月前にお寺来てくださいとのことだったので行きました。

亡くなって3年間は特別に供養してくださるとのことで用意するものを指示されたのでそれを持っていきました。

その他に〇〇料、お盆3日間は毎日おつとめの時間に来るようにと…

おつとめしていただく時には、勿論お布施を包むのです。お寺から言われたので皆さん来るものだとお布施を包み参加したらなんて数えるほどしか来ていません。

段々バカバカしくなってきました。

お母さんに話したらそんなに言ったことがないとのことでした。

仕方がないのでその年は3日続けておつとめに参加しました、結局来ていたのは真面目そうな家族だけでした。

最後の日に、和尚さんから法話があり、「自分から言うのはあれだが、昔は年に何度も皆さんお寺に来てくれた。最近は親の教えが悪いのかきちんと来る人が減った。お寺はお布施で運営がなりたっている。このままではお寺も苦しい。自分の口から言うのは本当は心苦しい」とおっしゃいました。

結局お布施がほしいってことかよ!と思ってしまいました。

和尚さんは黒光りしたレクサスに乗り、息子和尚さんのお嫁さんはブランドバックを肩からかけて裕福そうに見えるのは私だけでしょうか?

そもそもお布施って和尚さんから指定してくるものなのでしょうか?檀家さんから頂いた中で運営するものなのでは?と思ってしまいます。

ゆくゆくは檀家を抜けれたらいいなと思っています。

他の檀家さんにも聞いたら、やはりちょっと利益目的すぎるよねとおなじ事を考えていました。

昔小さいときに行った実家のお寺の感覚と随分かけ離れていてびっくりしました?現代のお寺事情は変わったのでしょうね。

和尚さんとはなるべくトラブルを起こしたくないですがこういうのが続くトラブルの原因になりそうだなと感じています。

良心的なお寺がまだあることを祈りつつわたしの体験談とします。

お布施の相場とは?いったいどのくらいなのか?

私の父は今から約10年ほど前に他界をしたのですが、あまりにも急な出来事で、ひとり娘である私は喪主を務めることとなり、葬儀の手配やら、役所への手続き…

と、何もかもが初めてのことだらけで分からずにいました。

ですが、葬儀の段取りなど決めなければならないことが後から後から出てきて、今思えば、それこそ時間との戦いのような数日間でした。

そんな私を救ってくれたのは、葬儀屋さんの対応の良さと、こちらの辛く悲しい心情に寄り添ってくれながらも、適切なアドバイスをたくさんいただけたことでした。

そして葬儀の前のことです。

檀家である僧侶さんが家まで来ていただいた際に、葬儀の際のお布施についてお聞きしたのですが、これがまた、驚きを隠せない金額を提示してこられまして…

それを聞いた時は非常に驚きました。

喪主を務めるのは初めてでしたし、第一、そういったお布施として納める金額の『相場』というものを知らなかったので、ある意味とても衝撃的でした。

『まさか、こんなに…?』と、そう思ったのが本音であり、納得のいかないところが多々ありました。

親族である叔母に相談をしたところ、叔母は『うちの方の僧侶さんは、そんなに高額なお布施をとらない』との意見でした。

そして、『葬儀の前に一度、僧侶さんのところに出向き、金額を交渉してきたらどうか?』とも言われたため、私は従兄弟と一緒に、僧侶さんのところに行き、お布施の金額の交渉をしたのです。

実際、はじめに提示された金額は80万円でした。

ですので、『なぜそのような金額なのか?』とお聞きしたところ、父が亡くなる約20年ほど前に、父の弟が亡くなった際に、お布施が50万円だったとのこと。

その件もあり、『お父様に、弟さんより低い戒名はつけられないから』との理由でした。

私はこのことを聞いて、どうしてもまだ心から納得できずにいましたが、僧侶さんに何度か交渉をしてみましても、全く譲っていただけるような気配ではありませんでしたため、もうこちらが折れたようなかたちとなり…

結局、葬儀を終えたあと、提示された80万円という金額をお支払いすることになりました。

こういったお布施のリアルな金額を、まさかご近所さんに回ってお聞きするわけにもいかず、なんとも後味の良くない結果となってしまいました。

ただ、その後にご近所さんとたまに会った際にお聞きしたことは、『我々の檀家の僧侶さんは、お布施がめっぽう高いと有名だ』というお話で、それを聞いて納得せざるを得ませんでした。

そして父が亡くなった数年後に、隣りの家のおばあちゃまが亡くなったのですが、その時にお聞きした話ですと、お布施が100万円だったそうです。

いくらお布施とはいえ、そんな高額な金額をとることは、果たしていかがなものなのでしょうか?

皆、ご身内の方がお亡くなりになって、先祖代々受け継いできたものを守りたい、守っていきたい、いうような健気な一心で、高額なお布施を納めることでしょう。

ただ、世の中には、そのような金額などは、決してお受け取りにならず、お布施として最低限の金額で立派に拝んでいただき、そして立派な戒名をつけてくださるような、そんな良心的な僧侶さんも、きっとたくさんいらっしゃることでしょう。

昨今では、これからの時代は『個々の時代』とも言われています。

ですので、絶対に檀家の僧侶さんの意向に沿ったことをしなくてもいいような時代に移り変わっているのだとも思います。

現に今は、樹木葬や、その他にも様々なかたちが増えてきましたし、何より、故人の意思を尊重して、各々が自身の結末を自由に選択をしていける…

そんな時代になっていき、各々が価値観をもっと広げていけるような、そんな時代になってほしいと願います。

100回忌の法要にまで来て、小さな子供がいるのに読経後にタバコを吸う住職さんに困りました。

私の義理の父や義理の母のお墓を納めている住職さんは、夫(元・夫)の遠縁の親戚です。
私たちが一度も会ったこともないようなご先祖様の50回忌や100回忌の法要にまで来られます。

「●●さんの100回忌なので、何日の何時に行きます」などと言われると、来なくてイイですとは言えません。

その度にお布施が必要になるので、我が家の経済を大きく圧迫していました。

それだけでも困りごとなのに、さらに頭の痛い困りごとがありました。

それは、お盆と年末と命日と、ご先祖様の7回忌や13回忌や100回忌などに、住職さんが法要に来てくれるのですが、その時に読経後にお茶と茶菓子を出すと必ずタバコを吸われるのです。

うちの子(当時小5でした)はぜんそくがあるので、タバコは困ります。

そこである日私が「灰皿を置くのは止めようよ」と夫に提案しました。夫とケンカになりましたが、私は灰皿を置きませんでした。

すると、住職さんが読経後に「灰皿、貸して」と言うのです。私は少し強めの口調で「うちの子はぜんそくなので、灰皿はもう置いていないんです」と言いました。常識的な人であれば、「ああ、ごめん」などと言って、タバコを吸ったりはしないでしょう。

しかしあろうことが、お坊さんと言う職業の人が「じゃあ、空き缶でも小皿でもなんでもいいわ」と言うのです。私は開いた口が塞がりませんでした。「えっ?タバコ吸われるんですか?」と住職さんに聞いている間に、夫が台所から小皿を持って来て差し出しました。

私は慌てて息子に「公園で遊んでおいで」と、息子がタバコの煙を吸わないようにと対応しました。

住職さんが帰った後、部屋の中の煙を追い出せるように換気をして息子を呼び戻しに行きました。息子は「くそ坊主」と言っていましたが、同感です。

夫は私がくそ坊主(住職さん)に取った態度が気に食わなかったようです。もともとは夫もタバコを吸う人だったので「タバコの1本くらい」などと思っているのでしょう。

次の法要の時に、私は夫に「タバコを吸う住職さんではなく、副住職さんに来てもらおうよ、その方がお布施も少なくてOKじゃないの」と提案しましした。夫はタバコうんぬんよりも、副住職さんならその分お布施が少なくても失礼にはならないと言うメリットに魅力を感じたみたいです。

お寺に電話をして「御住職さんはお忙しいと思いますので、副住職さんでかまいませんので」と言ったのですが、理由は分かりませんが、また住職さんが来ました。そして前回と同じく、「小皿でも空き缶でもいいから、灰皿ないの?」と言い、夫が台所から空き缶を持ってくると言うパターンでした。

その後毎回「副住職さんでかまわない」と言っているのに、なぜか住職が来てタバコを吸って帰るのです。

ある日、私がお寺に電話をして副住職さんでかまわないではなく、はっきりと「うちの子はぜんそくなのでタバコを吸われると困ります。タバコを吸わない副住職さんでお願いします」とお願いしました。

もちろん、一応は「大変恐縮ですが」とか「申し訳ありませんが」「我儘を言うようですが」というクッション言葉はつけました。お腹の中では「あのくそ坊主が」などとものすごく腹を立てていましたが、大人の対応をしました。

たかがタバコ1本で、と思う人もいるかもしれませんが、お坊さんが人の迷惑を考えないような行動をするという事が許されないのです。タバコは間接殺人兵器だという人も多いのに、ましてやぜんそくの子がいる家でタバコを吸うなんて、修業が足りんわ!と誰もが立腹するのではないでしょうか。

その後は毎回副住職さんが来るようになったのですが、一度も会ったことのないご先祖様の100回忌などにも法要に来られるのには、まいっています。お盆と年末と義理の父の命日と義理の母の命日で年間最低4回です。これに時々会ったこともない人の50回忌や100回忌などの法要が入ります。お布施代が我が家の経済に大きく影響しています。

友達ともこういう話を時々しますが、みんな異口同音に「お布施は高いよね」と言っています。中にはお父さんの命日が3月でお母さんの命日が5月だから、3月に2人まとめて法要をして御車代だけでも節約している、という人もいました。

お寺で苦労している人は、多いと思います。

お寺にお金がかかって困っていたので正直に住職さんに話したら「分割でもいいよ」と言われました。

幸か不幸か、元・旦那の親戚はお寺の住職さんでした。

結婚して3年目に義理の父が肝臓がんで亡くなりました。その時に戒名を付けた方がいいと言われて「●●さんならこれくらいのレベルの戒名を付けてあげないと、お父さんが気の毒ですよ」と言われたのですが、その金額を聞いて目玉が飛び出そうでした。はっきりとした金額までは覚えていませんが、元旦那のボーナス1回分よりも、はるかに多かったです。

「いやいや、いくら何でも私たちはまだまだ若くてお給料もそれほど多くないし、無理です」とワンランク下の戒名にしてもらいました。それでもお給料数か月分だったと思います。

その後もお寺のどこそこを修理するので寄付をお願いしますだの、ここを修理するので寄付をお願いしますなどと、再三にわたって寄付金が必要でした。墓地管理理料も必要だし、お布施も必要です。

私はふと、「この世の中で、自分の家の修理をする為に人から寄付金を貰って修理ができる人なんて、お坊さんだけですよねえ」と元・旦那さんやその親戚の人にポツリと言ってしまいました。

すると、親戚の伯父さんが「同感!寄付金やらお布施やお車代で年間何十万というお金が必要だからねえ。もう僕らは退職金と年金だけで生活してるから、厳しいわ。それで住職さんに寄付金は待ってほしいと相談したら、なんて言われたと思う」と言うのです。

住職さんに相談してどういわれたかと言うと「じゃあローンにしようか。お寺は僕らの物ではなく檀家さんやみんなの物だから、みんなで修理しないといけません。墓地管理料はお寺の決まりだから、お寺を利用する人には守ってもらう必要があります。お盆と年末の2回払いがしんどいのなら、毎月払いでもいいよ」と言われたそうです。

なんとしてもお金を取るのだな、血も涙もないんだな、みんなの悩みに寄り添うお坊さんなのに待ってくれないのだな、と怒りすら感じました。

私たちも「正直、お布施とか墓地管理料とか寄付金とか、お給料の安いサラリーマンには厳しいです」と話したのですが、「お寺の決まりだからねえ。守ってもらわないと」などと言って、決まりを守らないことがどれほど良くないことかを話されるだけでした。

お盆に来られたら、お布施を数万円包んで渡します。そしてお車代も何千円と包んでお渡しします。

このお車代ですが、各家庭から貰っているようです。これって、おかしいと思いませんか?

1軒当たり5000円として、30軒も回ればお車代だけで15万円です。

住職さんに聞くと、お盆の時期は朝の7時ごろから夜の9時ごろまで1日に30軒以上回るそうです。

それならば、各家庭からお車代を貰わなくても、今年はAさんとBさんとCさんからなどと、順番に当番制にして数軒からお車代を貰ったのでいいのではないかと、私は考えます。

お車代に1日10万円以上も貰う必要が、どこにあるのでしょうか。他の人に聞いても、皆さん「タクシーで来ていただいたら5000円くらいだ思うから」と、5000円を包んでいると言う人が多かったです。

また、お昼時や夕食時に来られた場合は「御膳料」という名のお食事代を包みます。多くの人は5000円とか1万円とか包んでいるそうです。昼から1万円もの食事をする人が今の世の中、どこにいるのだろうかと開いた口が塞がりません。

お布施も、3万とか5万と言う声が多く、7回忌や13回忌などの大きな節目の時は10万という人もいました。これは結構痛い出費だと思います。年金暮らしの人などはどうしておられるのでしょうか?

私の父や母は、遺言として「戒名はいらない。お坊さんも呼ばなくていい。火葬場に直送して焼いてくれたらいい。骨はお墓ではなく納骨堂に収めてください。納骨堂もお金がかかるようなら、骨壺にいれて部屋の片隅に置いてくれたらいいです。お坊さんにお金を使うな。そのお金で美味しい物でも食べて、みんなで仲良く元気に過ごしてほしい」と書いてあったので、遺言通りお坊さんは一切呼ばず、お坊さんには一切お金を使いませんでした。

納骨堂なので、墓地管理料などを払う必要もなくお寺関係の出費で悩むこともありません。

「お父さん、お母さんありがとう」と凄く思います。

近年は、戒名なんてつけないでお墓ではなく納骨堂に骨を納めるという人が増えていますが、おそらく私と同様の理由でしょう。

住職さんはせめて、全家庭からお車代を頂戴するというのは止めて、健全な方法に変えた方が良いと思います。
お坊さんにお車代や御膳料を渡すというのは、企業で言うと営業で回っている人にお車代や食事代を渡しているのと同様で、ありえないことです。